HLVTCもデザイナーyossy

デザイナーの半生とHLVTC

デザイナーの半生とHLVTC

皆さんこんにちは。HLVTC(ヘルベティック)デザイナーのyossyです。
ブログを始めることにしました。

「話す」にはライブ感が、「書く」には考えをまとめるのに適しているということでなるべく散らからないようにしていきたい所存です。

webのAbout usに大概まとめましたが、まとまっているためディテールも含めて記していきます。

2023年6月現在まで全て一気に記しますので長くなると思います。

暇で暇で仕方がない方は是非読んでいただけたら嬉しいです。

デザイナーの生い立ち

岩手県宮古市

私は岩手県宮古市という街の出身で、実家の家業は寿司屋で3兄弟の歳の離れた末っ子として誕生しました。

宮古市という街は本州最東端、鮭がよくとれる港町で新幹線の駅がある盛岡駅まで車で2時間ほどかかる田舎町です。

現代のようにインターネットの普及していない時代にそこで過ごした私が外の世界と繋がる手段は主に雑誌と音楽でした。

小学生の頃はダンスミュージックとドラムンベース、中学生の頃にはV系にハマり誰も知らないようなインディーズのマイナーな音楽をディグっては他者が知らないものに自分は触れているという自己肯定感を高める若干暗めの性質の持ち主でした。

お小遣いでCDを買ってはブックレットを見てアーティストのライブの時の髪型や服装を見て自分もこうなりたいという気持ちが日々高まりますが、私は小太りで角刈りでメガネをかけていたのでその中にいるアーティストとはかけ離れていたのでした。

中学卒業間近になり「イメージを変えるには今しか!」迸る情熱を持ち、髪を伸ばしてコンタクトにしてダイエットをしました。

中学と角刈りとメガネを卒業した私は高校に入学し、周囲からの反応が今までとまるで違うことに驚きました。

これが髪型の力なのかと感動し、パンクロックにハマっていたのでその音楽の向こう側にいる人達に憧れ、 服をびりびりに破いたり安全ピンを何百も刺したりスタッズを打ち込んだりするリメイクを繰り返しながらどんどんファッションが楽しくなっていきます。

私の母親は洋裁の仕事をしていたため、理想のニット帽の形を絵に描きつくってもらったり学生服のシルエットを変えてもらったりと、この時初めてアイデアが具現化される楽しさに目覚めます。

しかしその中で私は精神的にどんどん孤立していきました。

話の合う友人が少なく、少しでも変わった服装をしていると悪目立ちし、地元の内輪ノリが強い環境。

評価基準、受け身の教育、狭い世界、田舎に居る事の焦り、自分に対しての過信と止められない好奇心。居心地の悪さを抱えたまま悶々とする日々。

そんな時に美容の力と音楽とファッションにしかハマらなかった私に進路を選択する時がきます。

職業に直すとファッションデザイナーかミュージシャンか美容師。

これしか興味が無く、それらに関係のない「労働」ということを絶対にしたくないと考えていた私が無い頭を振り絞って考えたのは唯一職業として両親も見た事がありそうで国家資格でもある美容師。

今思えば他の2つは間違いなく理解されないからなんとなく話しやすいものを選んだのかもしれません。

しかし心の中では決めていました。

「1人になれば自由になれる。残りはあとで必ずやろう」

こうして私は高校を卒業後に上京し、18歳から実家を出て美容室で働きながら通信生として美容専門学校に通いはじめました。

ファッションはチケットだ

Trash And VaudevilleのJohnny Webb

00年代初頭当時はストリートスナップ全盛期。

お洒落をして原宿へ行き、スナップを撮られて何度も雑誌に載れば一気に有名人。

美容学生時代にスナップの常連ともなれば有名サロンへ就職しやすかったり、

アパレルであれば有名セレクトショップや希望の就職先に受かりやすかった。

まさにファッションが希望する未来へのチケットとなっていました。

表参道はランウェイさながらに盛り上がり、私もコーディネートをあれやこれや考えて少ない休みを使いその場所へ通いまくります。

何度か掲載されたもののその道の有名人にはなれずまた悶々としていました。

不可逆の喪失

時は流れ、私は美容師としてなかなか忙しい日々を送っていました。

NYのスタジオで撮影準備/

アパレルブランドの撮影や東京コレクションやその他ショーのバックヤードの一員として働いたり、NYのスタジオでモデルのヘアを担当して撮影をしたり。

2011年3月11日、東日本大震災が起こり私の生まれ故郷である岩手県宮古市が大きな津波に飲み込まれました。

東日本大震災2週間後の岩手県宮古市/所属している会社に掛け合い有給を使い4月の最初に地元へ帰り、爆弾が落ちたかのような状況に唖然としつつ、避難所へボランティアへ行きヘアカットをする活動をしていました。

髪を切ったところで腹はふくれない。こんな事をする事に意味はあるのか、嫌がられるかもしれないと考えていましたが最初に「髪切ってくれんの?」と声をかけてくれたおばあちゃん。

「もちろんです!」と応えてカットを始めるとありがとうと言い泣き出してしまいました。

こんなに人に感謝された事がない私は同じように涙が溢れます。

思い返せば今まであまり他者に認められた経験が無かったように思えてきたからです。

そこから避難所にいる方が沢山来てくれて、お待たせしつつ9時間ほどずっとカットをしていました。

この技術で自分なりに人助けが出来たのかもしれない。

改めて価値のある仕事であると実感しました。

その数年後、母親が病気で68歳で亡くなりました。

飛行機に乗った事がないと言っていた母親に旅行をプレゼントしようとした矢先のことで心配と迷惑しかかけてこなかった母親になにも出来なかった事は今でも悔やんでいます。

私が病院にお見舞いに行っていた際に母親から「いい靴履いてんじゃん」と言われたのはRick owensの靴を履いていた時。

ブランドではなく質の良さやデザインでモノを見ていた母親。

その影響で今でもなるべく気に入ったいい靴を履くように心がけています。

みんな、どこいったん?

休みになれば相変わらず服を見に行きネットで情報を漁って…

やっている事が10年以上変化していない事実に急にハッとし、以前同じようにファッションに熱狂していた友人と連絡をとると生活や環境の変化に伴いアウトドアブランドの服が多いとのこと。

最近は街で着れるやつ多いもんねーなんて話しながら横隔膜のあたりに感じるもやもや。

私も年齢を重ねて重い服やブーツ、体を拘束するような服をあまり着なくなったなと思いつつまたもやもや。

あの時熱狂していた人達はいま、どのブランド着ている?ブランドとかではなくなったのか、どこでそれを納得できたのか。

ファッションから降りたのか。

時間が経ったのだ。人との距離も一定ではないし同じでいられるものなんて存在しない。

懐かしい景色消え、もっと長生きすると思っていた人もいなくなった。

時間は一定方向へ流れ不可逆だ。ぼんやりしていても急いでいても同じだけ流れる。

何百年も生きるかのように過ごしていないか?やりたかった事はまだまだあって、今なら出来るのではないか。

私は独立し、ブランドを始めることにした。

嗚呼、Fashion victim

私はファッションを続けているのではなく辞められていないのだ。中毒者だ。

やっているのと辞められていないのはなんだか違う気がする。

「お前変わってるなぁ」と言われることがあるが私は変わっていない。君たちが降りただけなんだ。もう一度私が引っ張り上げる。

撮影で私がヘアを担当したデザイナーの友人に相談し、まずはTシャツを作ることにした。

機能美に優れていてスタイリッシュなものにしたい!

ある程度量産し、友人たちが買ってくれたおかげもあり全て完売した。

あれ、これもしかしていけるのかも。

確信がある。私はいいものとそうでないものの目利きには死ぬほど自信がある。

クレジットカードの限界突破をし借金を背負おうが電気を止められようが自分の月給以上の買い物をしようがファッションを辞められない中毒者を舐めてはいけない。

ここでは新人デザイナーでも人生経験はあるのだ。周りに自分より遥かに優秀な人を集めれば良いのだ。

ない、ない、ない。

しかしここで問題がある。

全くの無名でコネも無い事実だ。

自分なら何処の誰だかわからない経歴もない奴が「俺のブランドです」と言われても間違いなく買わない。

業界の重鎮と知り合い…ゼロ。

潤沢な資金…少しずつ貯めた貯金が少しあるだけ

まずは自分をマーケティングする必要がある。

1年間はマーケティングに当てよう。

知ってもらうにはSNSを使うしかない。

自分のブランドはまだ無いから価値観の共有と目利きをしていこう。

YouTubeやってるデザイナーは居ないし自分が提案したいジャンルをテックファッションと名前付けちゃおう。

暫く発信をしてパートナーから「イベントやれば?」と促される。

私は「誰も来なかったらやばいじゃん…」と日和る。

「やってみなよ!POPUP代出資するよ」

天使の一声で奮い立ち、初めてのコレクションは5型に絞り、かなりの数の量産を決める。

素材にも最初からこだわりたかったのでアメリカからDyneemaやGOREのデッドストック素材などを個人輸入。

世界初のDyneemaとGOREのドッキングジャケット

私としては大きな金額だ。

冗談でもなんでもなく、スベったらおしまい。次は恐らく作れない。

こうして始めたPOPUPは成功し、次の服を作れるようになりました。

これが続いて今があります。

パートナーには要所要所で助けられています。

この場を借りてお礼を言いたい。いつもありがとう。

HLVTCとは

ブランド名の由来はAbout usでご紹介していますので、併せてご覧いただけると嬉しいです。

自分が熱狂してきたファッションを降りなくていいような服。

機能的で洗練されているものなら楽でスタイリッシュになれる。

これは一生続けられるファッションなのではないか。

まさにここまでファッションという宇宙の中毒者となっていた私のたどり着くべくして行き着いた果てなのかもしれない。

近影/""

生産を繰り返し、様々な人と出会ったりリサーチしていると少量のデッドストック素材に出逢う。

とても上質だが少量なので生産ラインに乗らないのだという。

素材はHLVTCにとってとても大切だ。

小回りがきくブランドこそこの課題に取り組みたい。

そしてメーカーが実験的に開発した素材。

非常にユニークなものが多く、こちらも現品限りであることが多い。

音楽でも実験的なサウンドのバンドが好きだった事を思い出し、様々なエラーを解決しながら形にする。HLVTCには挑戦する義務がある。

良いものをしっかり作り、大手だとやりづらい事に挑戦し、さらに日常をアップデートする服を作ってブランドの成長をさせる事が関わってくれる方全員に対しての恩返しになると考えています。

HLVTCはまさに私のファッション観の集大成です。

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